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[F:span:Tomorrow is another day.[F:rightUp:明日は明日の風が吹く]]
そこで、私はわが国放送局の事業に対し、当然革命的胎動の起りうる機運を逸すべからざるを痛感した。帝劇こそ、正に、我々民間人の創設すべき放送局の候補地であるべきを空想せざるを得ないからである。
民間放送局! の夢は破れた。
この八月の上旬から、軽い胃腸カタルに冒されて横臥した。家人からは鬼のカクランだと嘲笑されたにもかかわらず、私自身は五、六日静養のやむを得ざる機会に、非常な拾いものをした。それは退屈まぎれに朝から晩までラジオを聞いたことである。
放送の種類と、内容と、前々からその貧弱さは承知して居ったが、一日聞いていると、如何にもなさけない程その低級さと貧弱さがわかって、結局日本の音楽そのものの本質よりも、我々が日常使用している言葉と、その対話、その演説は、これでよいのだろうかという疑問を抱くことになる。米人の偉大なる体格美を仰ぎ見て、我々の繊弱な素質を危ぶむごとくに、精神的低迷の瀬戸際に立たざるをえないのである。
洋楽の優秀なることは、何人も異議のない点であるが、さりとて、日本音楽も亦捨て難き情緒ありなぞと、自己満足をする時代ではないことも心得ている。心得ておりながらモットよい音楽がほしい、出来るかもしれない、世界共通の音階と譜面と、その融和性とは、かならず新日本の音楽が生れ、独特の国民性は何かの機会において顕れるであろう、という気長い心持からも、私はそう失望ばかりしては居らなかったのである。
然るに、今度こそは断然見限らざるを得なかった。それは進駐軍のラジオを連日聞いたからである。彼等の組織的プログラムの整然としてバラエティに富み、その内容の充実したる、何曜日何時には何か聴けると待ちこがれる音楽の楽しさ。私は唖の旅行において、外国の芝居や、寄席や、あらゆる興行ものを見聞した時は、深く感じなかったが、彼等のラジオ芸術の普及的勢力と、面白く引きつけてゆく企画など、これは断じて太刀打ちの出来ない非常な距離のあることに心づいた。
私のような皆目、外国語が判らない老人においてすらも、進駐軍のラジオを聴いていると音楽は勿論のこと、そのすべてのものを受入れられて愉快である。若い人達は、殊に米国語に興味を持ち、これを理解する人、理解しなくとも理解し得る素質を持ってる人達は、日本のラジオなどバカバカしくて、聞いて居られない時代が来るのも、そう遠くはあるまいと思う。必ず来るであろう。
果してしからば、私達が放送局を改革して、放送すべきその内容のあらゆる芸術を革新向上せしめ得る前に、否な、その革新向上を企てる必要がないことになって、国民の最大多数のクラスは、米国の放送を傾聴することになるかもしれないと思うのである。
必要は改革を産む、必要ならざるものに改革は望み得られない。我々は、鎌や、鋤や、鍬や、その農具の局部的改良進歩も必要であるかもしれないが、機械的農作が行わるるならば、それが増産の鍵であり、農民はその結果に満足しうるならば、局部的農具の改良は、この国の運命を左右し得ないごとくに、我々は米国のラジオによって、手取早く喰いつく時代が来るのではないだろうか。
これは、若い人達に問わんとする私の注文である。長唄の勧進帳や、清元や、新内や、浪花節は、必ずしも消えてなくなるとは、誰しも思わないだろう。しかしこれを改革するとなると、B29に原子爆弾に、なしうると思わざるごとくに、凡そ縁遠い日本音楽の改革なぞに、馬鹿力を入れる愚人は無いであろう。ここにおいて、民間放送局の空想はふき飛ばざるを得ないのである。