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No.8

帝劇に夢みた私の計画

 十年は一昔、丁度十年前に、私は、巴里の国立劇場グランドオペラに開催された海軍兵学校の慈善演劇会に、佐藤大使のお招きを受けて、大統領御臨席の夜会に出席したのである。日記によって、当夜の光景を回顧するであろう。
「正面の階段を入ると、両側に水兵がならんでいる。盛装の貴婦人と、紳士と海軍武官や外交官の御家族達で、婦人は裾をひいて半裸体、頭に冠のようなダイヤモンドの燦然たるリングを被っている。ルイ十四世時代の、芝居の舞台で見るような貴婦人も見受けた。昨夜この劇場にトラビヤタを見物した同一劇場とは思えないように変っている。オーケストラボックスは取払われ、舞台から客席まで、平面の大広間になっている。かれこれ二千人近くの来賓が芋を洗うように立っている。しかも静粛に何時間か立ちづめである。社交的訓練が行届いたものだと感心した。
 大統領のお席は、私達桟敷の二、三室ばかり隣の舞台に近い一室である。丁度十一時すこしすぎた頃、桟敷の裏の通路の両側に、兵学校の生徒が制服でお迎えしてならんでいる。ところどころ赤い飾りのある軍装の憲兵が警戒している。その中央を海軍大臣の御案内で、大統領閣下は燕尾服に赤い広幅の勲章のリボンを斜めに飾って、令夫人御同道にて入場あらせられるのを、私は外交官席の後に立ってお迎え申し上げたことは、何という偶然の幸福であろう。
 ラッパの音が高く響いたと思うと、あたりがいつとなく静かになり、水兵が二人、鎗を持って露払いのように先導して入場してくる。それから、二、三人の閣僚や、軍令部長などが大統領の前後に、三々五々群をなして、話しながら、平凡に、歩行をつづけ、外交官席に近づくと、一々握手したり、敬礼を受けたり、手軽に挨拶をせられて居られた。大統領夫人も亦同じく御如才なく、夫人方に握手せられておった。
 流石に自由を尊ぶ共和国の光景で、一寸想像が及ばない。不思議に思ったことは、この劇場つきのロジイの鍵を持っている老婆や、外套を預かる番人の老婦や、それ等の使用人が平然として、いつもの通り自分達の席に腰をかけて、大統領の御通行を見物して居るのは、習慣とは言え、日本に見られない図であった。
 大統領が御着席あらせられるその席の下の方に、臨時に出来たオーケストラから国歌の音楽が響き出すと、全員起立、音楽がすむと直ちに余興が始まる。海軍軍服を着た立派な司会者が現われて、音吐朗々、プログラム通り少しも休みなく進行する。舞台はいつもより数間奥深く飾られて、そこには仏蘭西の何とかいう昔の有名な船の内部が、舞台一面にかざられ、何段かの帆が、いくつもいくつも丸い柱にからまれている。そこに兵学校卒業生の新しい軍人が、これから遠洋航海に出発するというところから、余興が始まるのである。(余興は面白いけれど長くなるから省略する)余興の最後に、この国の第一流の俳優達を一々紹介して、一人ずつ舞台に出し、大統領に敬礼をなさしめお客様にも挨拶する。かれこれ二十人もならんだろう。誠に名誉のある嬉しい取扱いだと感心した。
 それがすむと、国歌の音楽に全員起立、大統領は御退席する。舞台の正面にオーケストラが浮上って、音楽になると、広間の客席にダンスが始まる。かくて、夜中の三時四時まで踊りつくして、朝方六時頃解散するという話であるが、払は佐藤大使のお帰り後、直ちに宿に帰ったのは二時頃であった。
 今夜は実によい見学をしたと喜んでいる。この度の旅行中に、かくのごとき思いもよらぬ収穫をえたことは、将来私の思想と文章の上に、どんなにか影響するだろう。いろいろ考えさせられたのである。」
 この劇場に大統領が臨席されたように、日本においても、一つ位営利を離れて、社交の中心となる劇場が必要である。そうだ、日本に帰ったならば帝劇を買収して、高貴の御方や、貴顕紳士の社交場として、東京会館と相俟って、文化の殿堂を建設しよう。日本の社交は、今なお花柳界の力をかりるにあらざれば乾燥無味で、成立しない現状である。そこに、新橋柳橋赤坂は言わずもがな、清く、正しく、美しい社交的施設がゼロであるからである。私はまず第一に、社交の中心を帝国劇場に引寄せ、そこに重点的に、あらゆる施設を充実せしむることが出来るならば、花柳社会の陰影から、明朗高潔の天地を築き上げることができると確信した。
 そして、東京会館と帝劇とを買収すると同時に、も一つ、八層高楼の帝劇会館を右側の空地に建設し、地下道による東京会館と、高橋による帝劇会館との連絡を左右に結び、中央帝劇をして国際的公会堂の性質を持たせ、集会宴席は勿論、公共的であり、倶楽部的であり、個人および国際の便益に奉仕し、ここに芸能本陣の最高峰を築き上げて見たい――という理想は、日支事変と共に一片の反古として葬られ、帝劇会館の青写真は紙屑となって竹中工務店に寝ている。
 帝劇を美麗宏壮に改装すべき夢は破れて、一度は情報局に徴用され、大政翼賛会に利用され、見る影もなき廃墟的存在に蹴落されたのであるが、今や辛うじて復興の緒にこぎ着けたばかりの、哀むべき帝劇の、そのみすぼらしい姿に直面しながらも、私は心ゆくばかり、コオル・ド・バレエやバ・ド・ドウの男性美の豊さに驚喜し、リリストの花やかさを満喫し、恍惚として昔ながらの、若き血のほとばしる快感に満足しつつ、田村支配人の部屋で、その成功を賞め、この企画に活躍した蘆原英了君の努力に敬意を表したのである。蘆原君は、私の宝塚時代可愛いい坊ちゃんで、ファンの一人であった。田村支配人は、麗人入江たか子の主人であり、夫婦雛の典型的美男美女として有名であることよりも、彼等は、劇界の旧習から離脱し、超越して人間味深く、その情艶は同人を羨ませている。
 私は支配人室でサンドウィッチのお弁当をすませ、第四幕オデット姫の助力によって魔法使いロットバルトを刺殺し、舞台が明るくなって、暁近い湖面の背景の前に、王子ジイグフリードと、王女オデット姫と抱き合う最後の感激を見て、帝劇を出ずる時、しばしば振返って別れを惜しまざるを得ないのであった。それは、帝劇再興の私の計画が、又しても徒労に帰せんとする運命を自覚したからである。

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