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※demo版ですので投稿できません
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No.10
こちらのスキンは長文向けに作成しております。
一行目にタイトルを書くとタイトルだけ表示されます。各投稿ページへ飛ぶと本文が見えます。
てがろぐ側の設定はほぼ初期状態です。
下記は自由記法の書き方です。
一行リスト スラッシュ
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リスト1
リスト2
リスト3
]
一行リスト 黒点
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リスト1
リスト2
リスト3
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[F:strong:重要]
背景文字
[F:span:Tomorrow is another day.[F:back:明日は明日の風が吹く]]
[F:span:Tomorrow is another day.[F:right:明日は明日の風が吹く]]
[F:span:Tomorrow is another day.[F:up:明日は明日の風が吹く]]
[F:span:Tomorrow is another day.[F:rightUp:明日は明日の風が吹く]]
マンションクラブは、我々同人の集まる、袖すり合えば多生の縁ありという、その緑の下の力持ちをする同人達の息抜きクラブである。このクラブに泊ることが出来たゆえに、久しぶりで上京したのである。
東宝大沢社長の御厚意によって、鮮かな通訳を煩わして、東上の主たる目的たる進駐軍B三百番ミス・アビロックの用事をすませ、東宝の本社へ同行した。折柄社長室には、東宝重役や幹部諸君が集まっておられたので、日本ラジオ悲観論を披露するとともにこの問題は直ちに映画の製作に一致すべき共通点があることを強調した。長谷川一夫、山田五十鈴のトリオが、如何に地方人を魅了し、優秀なる東宝色彩を維持しうるとしても、現在の映画企画は更に一歩を進めて、その観客層の請求に善処しなければ駄目であることを信じているからである。私のごとき無学な老人においてすらも、洋映画のタイトルも読めず、スクリーンの訳文にたよる低能な観客においてすらも、東宝、松竹、大映の千篇一律な古臭いものよりも、洋映画のもつ芸術味と、興味の深い筋の運び方、こんこんとして湧いてくる音楽の盛り上る力、俳優の真剣なる態度等々、何もかも、比較にならない程優越している米国映画の方が嬉しいのである。
殊に遠からず天然色が輸入せらるる場合には、圧倒的に洋画の勢力に押えつけられることは、火を見るよりも明らかである。東宝の立場としては、現在のスター陣によって安閑たりうる時代ではないと思う。芝居にしても、映画にしても、彼等の御機嫌をとるよりも、彼等とともにお互いに自らを顧みて、奮励一番、改革をなすべき時である。たとえ一小部分なりとも、日本再建の使命をになう、映画界の指導者としての東宝は赤化組合に引ずられてまごつくよりも、全面的に御破算ですすむ大英断を必要とするときである。それには我々はハリウッドの企画製作監督等、敗戦国の今直ぐにどうするということは不可能であるとしても、その方面からの有力なる指導を得るために、工作する準備行為が必要である。現に、戦災復興院は優秀なる顧問採用に、その人選の交渉を進めている。東宝も亦、ハリウッドの新しい空気を入れることが急務である。然らざれば、放送において日本の出しものが軽視され、米軍の放送にさらってゆかれるごとくに、映画もまた同一運命に陥るものと信じている、という私の説明に対して、彼等は、
『誠に結構ですが、来て貰うならばハリウッド第一流の監督でなければ駄目だ。第二流以下では……』と、如何に理想は高い方がよいとしても、見当はずれの意見にこだわっている。第一流が来る筈もなければ、来られてはソロバンのけたがはずれて、倒産するに至るであろう。私は第二流第三流を問わない。彼等の新しい見方によって、新しい企画を樹てて貰うべしである。スターの誰彼と言わない。片隅にころがっている異彩ある新人が発見され、平凡でない却って変り種が利用されるかもしれない。
それよりも、かれ等の眼に写った新しい見方から取りあげられた作品が、どんなに奇想天外であるかもしれない。私ならば議論より実行だ。彼等にはPCLの旗印を立てて、松竹に肉迫した往年の勇気はない。守勢に立つ怯弱な方針に終始して、因循姑息でその日暮しの間に新進の敵手が現われて、かならず彼等を圧迫するに至るであろう。彼等には創造の智慧がない。積極的建設の勇気がない。唐様で書く三代目として、彼等の小賢しい態度を笑わざるを得ないのである。
この日私は、偶然にも日活の堀社長に会った。私は彼により、社内の労働団体を拒みえた彼独特の議論を聞いて、微笑を禁ずる能わざるものがあった。蛮勇も亦徒労にあらざるを知る。すなわち彼に勧むるに、米人監督招聘の必要を強調し、撮影所を持たざる日活のゆく途は、大映との合同にあり、同時に東宝松竹三社鼎立の競技によって、老朽を打倒してゆく勇ましい映画界の前途を祝福した。
彼は婦人のごとき温柔の面貌に、いささか紅潮をたたえて、底知れぬ図太き胆大心小の立居振舞い、唯々として『御高論御尤なり』と言う。喰えぬ男と知りながら、その愛嬌の無意味にあらざるを喜ぶのである。
久方ぶりの東上に、不平もあり、癪に障ることもあれど、若い人達に会うことの楽しみは老いゆく心淋しさに、一服の清涼剤を与えられたるごとくに嬉しいのである。
マンションクラブの一夜は、お隣から急雨のごとく響ききたる変電所の騒音に明けて、八時半の急行列車に乗る。有楽町駅から車窓に立って、「アーニイ・パイル」の屋上に挙手の黙礼をささげて大阪に帰るのである。(二一・九・三)