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アーニイ・パイルの教訓

 この劇場の荘麗華美なるに対して、有楽座から日比谷映画劇場、喫茶カテイ、名物食堂にいたる東宝系一帯の地域が、如何に陰惨な、汚穢な塵溜めのような、掃除の行届かざるを実見して、親の心、子知らずと言うべきか、何という無神経であるかと口惜しく思うのみである。
 この破壊された戦災地のあとには、仮小舎がそれからそれへと新築されて、まばゆき電灯のにぎやかな店かざり、あつものの香り、食欲をそそる見本品、奥より漏るるレコードは『林檎は何も言わないけれど、リンゴの気持はよくわかる、リンゴ可愛や可愛やリンゴ』……レコードに合せて流行唄を歌いながら歩く若い人達によって、賑う街の中に、我関せず焉として、焼残った東宝系の建物のみは暗闇である。
 もと日東紅茶の店は、進駐軍の図書室として花やかに輝く時、筋向うの喫茶カテイの洋館四階建は真暗である。四ツ角五階建名物食堂も真暗である。自力で無い、他人様のおなさけで、インフレ景気に有頂天になっている東宝には、その内部から他力本願の虚を衝いて、赤化を夢みる幻影が、スクリーンに映されんとしている。しかしながら、彼等は必ずや「アーニイ・パイル」の行届いた経営方式に驚倒し、その後塵を嘗めて、よちよちながらも学ばんとするに至るであろう。

 労働争議というがごとき、生々しい事実を取上げて、東宝を訓戒せんとするがごときは、私の目的ではない。聞くところによれば、この「アーニイ・パイル」なる名称は、労力に酬ゆる正当なる報酬であり、勲功に対する名誉の表彰であり、大衆の支持を象徴する公平なる結論であるという話である。
 果して然らば、我等の東宝において、アーニイ・パイルの記念すべき名称を、東宝劇場の軒頭に掲げるに至ったことは、偶然の教訓的指示であるかもしれない。私はここにおいてアーニイ・パイルについて語るであろう。
「アーニイ・パイル」は太平洋戦争に参加したる米国一新聞の青年記者の姓名である。彼は不幸にして海戦のさ中に戦死した。然し、彼の綴れる通信記事は、全米を風靡して好評を博したのである。米国各新聞社から派遣せられた数百名の記者によって、送られたる通信記事の内容は、その冒険を競い、その敏捷を争い、その独自性をほこり、或は又美辞麗句、奇抜であり、意表に出ずる等々千差万別の裡にあって、彼は終始一貫、兵士と苦楽を共にしつつその兵士の行動、その生活、その信念、あるがままの本質と、真の姿をあらゆる角度から書いて、故国の同胞父兄に報告したのである。
 その報告記事は、酒のごとく強くもなければ、香りも無い、酔うことの嬉しさも、眠ることの楽しみもない。しかし、酒は興味のある人、無い人、嗜む人、嫌な人もある。水に至っては、淡々として無味、何人も手を放すことの出来ない必要品であるごとくに、彼の通信は待ちこがれる水であったのである。恐らく太平洋戦争に参加したる陸、海、空、各方面綺羅星のごとき将官の数は数万人にのぼったであろう。そして、輝かしい戦功にともなう物語は、読者をして充分に満足せしめたであろう。然しながら、その数量において、上長官は兵士軍属の何十万分の一にすぎないのである。米国国内に於ける出征軍人の消息を待ちこがるるその家族の数も亦然り。即ち、その大多数を満足せしめたる青年記者アーニイ・パイルの通信は、米国大多数の出征家族をして感謝せしめ、礼讃せしめたのである。流石に民主主義の本家である米国としては、最大多数によって感謝せられたる代表的新聞記者としてのアーニイ・パイルを表彰すべく、この劇場に命名したることは、わが国のごとき一将功名成って万骨枯るるを怪しまざる官尊民卑の風習に対して、善い教訓であると思うのである。

ネオンの中に明滅する追憶

 私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。眼がしらが熱くうるおいそめて、にじみ出して湧いてこぼれて来る涙を拭く気にもなれない。誰れも見て居らない、泣けるだけ泣いてやれ、という心持ちであったかもしれない。私は、頬のあたりまで持っていったハンカチを再び下げて、唇を押えたまま、暫らくジッと佇んで居ったのである。
『何という綺麗な、立派になったことであろう』掃除の行届いた劇場前の人道は水に洗われて、並木の黒い影は涼風にうごいて居る。私がこの劇場を支配しておった頃は、並木の一、二本は必ず枯れたり、ぬき取られたりしていた。碁盤目のブロックには凹凸があり、欠けて掘り出されたままに放置されていたり、砂煙が低くつづいて舞うなど、その頃の光景を思い浮べて、空虚な、敗戦気分の意気地ないというのか、我ながら、心はずかしく憂鬱ならざるを得なかったのである。
 東西廻り階段の入口から、硝子戸を透して正面広間の紅い絨氈は、煌々と輝いている。軽い口笛と靴音と、ステップをそろえてのぼりゆく三々五々の米兵を限りなく吸い込むこの大劇場は――誰れが建てたのか、誰れでもないこのオレが建てたのだと、負惜しみのような、うぬ惚れのような、悲哀な快楽がムクムクと胸の底を突くと、心臓がいささか高なる、呼吸が迫るようになると、セセラめく微苦笑が浮んでくる。同時に、せめてもの慰みというのであろうか、昂然として、私には想像の自由が許されている、何人にも許されている、と、その意識的態度は俄かに濶歩となって、数十歩帝国ホテル側へ、数十歩有楽座側へ、靴音高く、ゆきつ戻りつ、アーニイ・パイルのネオンを見上げながら、私の空想は若い時代の夢を回顧せざるを得ないのである。
 五線紙型のネオンサインを、東京宝塚劇場の屋上高くかかげて、ドレミハソラシドの音律を、省線の電車の窓から、数百万の青年子女に唄わしめんとした私の計画は、新聞紙の広告をはじめとし、あらゆるポスターに楽譜の輪郭を描いて、宝塚を象徴せしめたのである。可愛いい音楽女学生は、その楽譜を読みながら唄う。
『希望は遠し武庫の川
 流はつきじ永遠に
 水玲瓏の粋をくむ
 われ等は乙女一途に
 歌劇の国の宝塚』
 私はこの、ソソミドソラソ。ラシドシラレミレの校歌を、電車に乗合せて聞いた時ぐらい嬉しかったことはない。同時に、それはやがて、帝都の中心地点丸の内に、東宝芸能本陣を組織的に大成せしむる確信を得たるのみならず、それを実行せしめ得たのである。その最初の鋤跡は、実に「アーニイ・パイル」である。

常識

 昔、京都に近い愛宕山に、黙想と読経に余念のない高僧があった。住んでいた小さい寺は、どの村からも遠く離れていた、そんな淋しい処では誰かの世話がなくては日常の生活にも不自由するばかりであったろうが、信心深い田舎の人々が代る代るきまって毎月米や野菜を持ってきて、この高僧の生活をささえてくれた。
 この善男善女のうちに猟師が一人いた、この男はこの山へ獲物をあさりにも度々来た。ある日のこと、この猟師がお寺へ一袋の米を持って来た時、僧は云った。
『一つお前に話したい事がある。この前会ってから、ここで不思議な事がある。どうして愚僧のようなものの眼前に、こんな事が現れるのか分らない。しかし、お前の知っての通り、愚僧は年来毎日読経黙想をしているので、今度授かった事は、その行いの功徳かとも思われるが、それもたしかではない。しかし、たしかに毎晩、普賢菩薩が白象に乗ってこの寺へお見えになる。……今夜愚僧と一緒に、ここにいて御覧。その仏様を拝む事ができる』
『そんな尊い仏が拝めるとはどれほど有難いことか分りません。喜んで御一緒に拝みます』と猟師は答えた。
 そこで猟師は寺にとどまった。しかし僧が勤行にいそしんでいる間に、猟師はこれから実現されようと云う奇蹟について考え出した。それからこんな事のあり得べきかどうかについて疑い出した。考えるにつれて疑は増すばかりであった。寺に小僧がいた、――そこで猟師は小僧に折を見て聞いた。
『聖人のお話では普賢菩薩は毎晩この寺へお見えになるそうだが、あなたも拝んだのですか』猟師は云った。
『はい、もう六度、私は恭しく普賢菩薩を拝みました』小僧は答えた。猟師は小僧の言を少しも疑わなかったが、この答によって疑は一層増すばかりであった。小僧は一体何を見たのであろうか、それも今に分るであろう、こう思い直して約束の出現の時を熱心に待っていた。

 真夜中少し前に、僧は普賢菩薩の見えさせ給う用意の時なる事を知らせた。小さいお寺の戸はあけ放たれた。僧は顔を東の方に向けて入口に跪いた。小僧はその左に跪いた、猟師は恭しく僧のうしろに席を取った。
 九月二十日の夜であった、――淋しい、暗い、それから風の烈しい夜であった、三人は長い間普賢菩薩の出現の時を待っていた。ようやくのことで東の方に、星のような一点の白い光が見えた、それからこの光は素早く近づいて来た――段々大きくなって来て、山の斜面を残らず照した。やがてその光はある姿――六本の牙のある雪白の象に乗った聖い菩薩の姿となった。そうして光り輝ける乗手をのせた象は()ぐお寺の前に着いた、月光の山のように、――不可思議にも、ものすごくも、――高く聳えてそこに立った。
 その時僧と小僧は平伏して異常の熱心をもって普賢菩薩への読経を始めた。ところが不意に猟師は二人の背後に立ち上り、手に弓を取って満月の如く引きしぼり、光明の普賢菩薩に向って長い矢をひゅっと射た、すると矢は菩薩の胸に深く、羽根のところまでもつきささった。
 突然、落雷のような音響とともに白い光は消えて、菩薩の姿も見えなくなった。お寺の前はただ暗い風があるだけであった。
『情けない男だ』僧は悔恨絶望の涙とともに叫んだ。『何と云うお前は極悪非道の人だ。お前は何をしたのだ、――何をしてくれたのだ』
 しかし猟師は僧の非難を聞いても何等(なんら)後悔憤怒の色を表わさなかった。それから(はなは)だ穏かに云った。――
『聖人様、どうか落ちついて、私の云う事を聞いて下さい。あなたは年来の修業と読経の功徳によって、普賢菩薩を拝む事ができるのだと御考えになりました。それなら仏様は私やこの小僧には見えず――聖人様にだけお見えになる筈だと考えます。私は無学な猟師で、私の職業は殺生です、――ものの生命を取る事は、仏様はお嫌いです。それでどうして普賢菩薩が拝めましょう。仏様は四方八方どこにでもおいでになる、ただ凡夫は愚痴蒙昧のために拝む事ができないと聞いております。聖人様は――浄い生活をしておられる高僧でいらせられるから――仏を拝めるようなさとりを開かれましょう、しかし生計のために生物を殺すようなものは、どうして仏様を拝む力など得られましょう。それに私もこの小僧も二人とも聖人様の御覧になったとおりのものを見ました。それで聖人様に申し上げますが、御覧になったものは普賢菩薩ではなくてあなたをだまして――事によれば、あなたを殺そうとする何か化物に相違ありません。どうか夜の明けるまで我慢して下さい。そうしたら私の云う事の間違でない証拠を御覧に入れましょう』
 日出とともに猟師と僧は、その姿の立っていた処を調べて、うすい血の跡を発見した。それからその跡をたどって数百歩離れたうつろに着いた、そこで、猟師の矢に貫かれた大きな狸の死体を見た。

 博学にして信心深い人であったが僧は狸に容易にだまされていた。しかし猟師は無学無信心ではあったが、強い常識を生れながらもっていた、この生れながらもっていた常識だけで直ちに危険な迷を看破し、かつそれを退治する事ができた。
小泉八雲,, 2094文字 
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てがろぐ

仕様

こちらのスキンは長文向けに作成しております。
一行目にタイトルを書くとタイトルだけ表示されます。各投稿ページへ飛ぶと本文が見えます。
てがろぐ側の設定はほぼ初期状態です。

自由記法

下記は自由記法の書き方です。

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